長い文章を載せる用です。自意識過剰です。

四次元空間と言葉と出力

言葉で武装しようにも、私の拙い言葉では戦うことができない。

言葉が発現するまでに何が起きているのかを想像するのはとても面白い。私の脳内は四次元空間のようになっていて、この四次元空間というのは頭でっかちの状態だなあと思う。その大きさは実体の直径15センチには収まらず、無限に広がる宇宙のようなイメージ。考えている内容はさておき、無限の空間の中にいろんなワードが流れている。複数の話題に関するワード、もしくはセンテンスが同時多発的に流れていて、自分でも理解できない。それをまとめるのは一苦労だ。そもそもまとめる必要などないのだ。誰かに伝える必要がない限り。

私の考えを誰かに伝えるための最も簡単な手段は、声に出すことだ。脳から発声までに介在するのは意識で、その場に適した会話を引き出すためのフィルターである。「あのー」とか「えーっと」といった間投詞は、無意識に起こることが多い。この無意識のうちに発している間投詞は、私が話したいことを抽出するための場繋ぎ、またチューニングするためのものだと思う。弱点は、やり直しがきかないところ。一度発した言葉をなかったことにはできないけど、できないから、声に出して伝えることが一番ストレートに伝わる手段のようだ、私にとっては。

次は、手書きの文字で書き記すこと。その中にも序列があって、一番は指、二番は鉛筆、三番はボールペン。書く先の媒体は、電子機器じゃないほうがいい。砂場に指で文字を書いたり、絵の具を指につけて書いたりしたような直感的な感じには、どんな筆記具も媒体も勝てない。筆記具の中でも、鉛筆の温かみ、紙に書いた時の掠れ具合が心地いい。消してリライトできるけど、筆跡は残るし、比較的自由に文字も図も書ける。この感じが好き。

最後に、電子機器を使った文字入力。スマートフォンなのかタブレットなのかPCなのかでも変わる。長い文章を打つ時はPC、チャットや短い文章を打つ時はスマートフォンといったように、文章の種類によって適性があるはず。しかしこの、デジタルでの文字入力は、チートの権化である。言い忘れたことを途中に挿入できるし、都合の悪いことを跡形もなく消し去ることもできる。タイプライターが現れて、ワードプロセッサが現れて、さらにインターネットで世界の人とあらゆる手段で繋がることができるようになった。この変化の度に人間の思考は変わっているのではないかと思う。qwerty配列で文字入力をすることを前提として、脳が働いている気がする。インターネットの先にあるツール、それが正式な文書作成なのか、掲示板、チャット、ブログ、SNSなのかによってもまた、異なる思考法を用いているのではないかと、不思議で不思議で仕方ない。

と、本当に研究したかったことのきっかけを書いた。デバイスと思考方法の関係性について。私はなんでもデジタルで済ましたくないし、インターネットが全てだとは思わない。その場の空気とか、肌触りとか、そういうものであなたを感じたいし私を表現したい。身体性を失いたくない。

頭の中に言葉が溢れてて、これをまとめてここに書くのがすごく難しい。私の頭の中では完結してるのに、こうやって整理しないとその全貌をつかめない。しかし、整理したところであなたには伝わらないの、すごく悲しいね。言葉に対する印象、ニュアンス、それは個人の価値観によって変わるものだ。個人を取り巻く環境は当たり前に皆違うから、誰一人として全く同じ感覚を持っていない。だから、価値観がとても似ている人と出会えても、私が思ったことをまるっきり同じように捉える人はいない。万が一、億が一、そんな人がいたところで、それを確かめる術もないんだけど。でも、そうやって生きていくしかないんだろうな。自分と相手との異なる部分に触れると新しい感情に出会える。それが楽しくもあり、分かり合えないイライラの原因にもなる。「頭の中で思ったことをまとめるのが面倒だから、私の思ったことが相手の人にそのまま伝わればいいのに」「自分のニュアンスを相手に伝えるツールができればいいのに」とか考えたこともあるけど、そんなのは想像力を破壊していくものでしかないので、技術的に実現可能になったとしてもいらないな。実現したら、悲しいな。