長い文章を載せる用です。自意識過剰です。

使い分け

ツイッターばかり使ってきたけど、私には合わないんじゃないか?と思ってしまったので、長い文章が書ける場所を作りました。

ツイッターは好きです。何の脈絡のない文章が並んでる感じが。140文字で要約しなきゃいけない感じとか。でも、それに疲れてしまった。ただタイムラインをスクロールするだけ、リアルタイムな情報収集のためには、ツイッターほど優れたツールはないなーと思う。全く関係ないことが同時に起こってる感じはとても好き。アルゴリズムが組み込まれているわけでもなく(最近、「〇〇さんがいいねしました」とか、オススメのツイートみたいなのが別枠で出てくるけど。あまり好ましくない)、呟いた時間通りに流れてくるので、頭の中が情報で溢れてはいるもののいい感じにザッピングできていると思う。

でも、私が何かを呟く時に、たくさんのツイートの波に飲み込まれてしまうのが嫌だなあと思うことが多くなった。

それと、見ず知らずの人からフォローされるアカウントを始動させてから1年半くらい経って、気づいたこと。私が言いたいことは140文字に収まらないんだなー、と。誰も私のことなんて気にしてなくて、私が一番私のことを気にしてるけど、自分の思った通りにならないことにフラストレーションが溜まっていくのが嫌だった。私はすべて自分主体で行動しているので、このまま自分が不快なままツイッターをやってたくないから、うまく使い分けていくことが目標。

そもそも、なんでツイッターを始めたんだっけ。これは私が〜…、とツイッターで呟こうものなら、140文字には収まらない。そうすると、幾つかのツイートに分けなければいけない。それが本当に嫌だ。都合のいいところだけ切り取られたくない。だから、そういうことはここに書いておくことにする。

私はというと、作品であれツイートであれ、誰かの表現したものは、都合のいいことしか受け取らない人間だ。大学に入って、初めて受けた文学の授業。作家でもある教授が、大講堂で言っていた。「皆さんは、大学受験を終えました。今まで勉強してきた『国語』は忘れてください。答えが一つであるはずがないでしょう」大学で勉強したことなんてほとんど覚えてないけど、これはいつまでも覚えていると思う。模範解答と違ってもいいんだ、と思った。だから、他の人と違う感想を抱いていいんだ。今振り返ってみれば、至極当然のことだけど、妙に感動してしまった。だから、あなたのツイートを見てもあなたの意図とは異なったように解釈するし、「感動した」と一言に言ってもどのように感動したのかは私だけのものだからね。その「どのように」の部分を、ここでうまく文章にしていきたい。

これからも、気が向いたら書いていきます。