長い文章を載せる用です。自意識過剰です。

旅の思い出

ふと思い出す景色は、非日常的なものが多い。

ソウルで泊まったホテルの目の前にアメリカンアパレルがあって、夜の喧騒とは裏腹に、とても静かで人っ子一人いない目覚め。

夕方の淡江は、雨上がりだったけど夕焼けがとても綺麗だった。匂いとか湿度って、案外記憶に残っているものだ。あの、味付き卵みたいなやつ、こわくて食べられなかった。

ボストンは特別で、何もかも嫌になって一人でコンテンポラリーアートに行った時は、確か雨が降ってて、初めて一人で地下鉄に乗ったからすごく不安だったなあ。誰も私のことなんか見てないのに。美術館の海に面した広い窓からお月様が見えたんだけど、そこには鴨川のカップルばりに等間隔で座るカップル達がいた。あと、インスタレーションの中で演奏されていた曲がとても印象に残っていて、なんだかすごくしんみりしてしまったんだよね。今でもふとこのメロディを思い出すことがある。これだ。

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美術館に行く途中に通る橋も綺麗だった。ライトアップされてて、11月の風は冷たかった。ボストン美術館は、展示物がエリアごとに分かれていて、とても広い館内なのに、一瞬だけこの空間が私だけのものになるのが嬉しかった。から、一人で何回も行った。ボストンについてはいろいろと思い入れが強すぎて書ききれない。

 

台湾に行きたくなったので、旅の思い出をつらつらと書いていたら、話が逸れました。

10月2日

10月2日、青森ロックフェスティバル・夏の魔物から一夜、10時にホテルをチェックアウト。少し肌寒い。青森駅の改札を通ったところで、次の電車が40分後だということに気づく。仕方なく車内で待っていたら、昨日見たニューウェーブアイドルグループのメンバーが同じ車両に乗ってきた。マスクしててもかわいい。マスクしてるからかわいい?

新青森に着く。駅のおみやげ売り場をうろうろしていると、これまた昨日激マブなライブを繰り広げた地下セクシーアイドルと出くわした。男たちを侍らせていた。と思ったら、顔が割れてないオーケンが横を通り過ぎた。意外と背が高かった。ここは中野か高円寺かと思った。

おみやげを一通り買った後、りんごソフトを食べる。青森県産のりんごが使われているかどうかはともかく、青森でりんごソフトを食べることに意義があると思う。

新幹線まで時間があるので、青森駅に引き返しみそバター牛乳ラーメンのお店へ。でも、その組み合わせに日和ってしまい普通のみそラーメンを食べた。友達のみそバター牛乳ラーメンのスープを一口もらったけど、一口だけなら美味しかった。青森駅前のデパートへ、津軽弁で接客されると東京のデパートみたいに緊張しない。

再び新青森駅へ。アップルシードルを買って新幹線に乗り込むと、フェスホストバンドのプロレスラーと同じ車両だった。みんな東京に帰る。


使い分け

ツイッターばかり使ってきたけど、私には合わないんじゃないか?と思ってしまったので、長い文章が書ける場所を作りました。

ツイッターは好きです。何の脈絡のない文章が並んでる感じが。140文字で要約しなきゃいけない感じとか。でも、それに疲れてしまった。ただタイムラインをスクロールするだけ、リアルタイムな情報収集のためには、ツイッターほど優れたツールはないなーと思う。全く関係ないことが同時に起こってる感じはとても好き。アルゴリズムが組み込まれているわけでもなく(最近、「〇〇さんがいいねしました」とか、オススメのツイートみたいなのが別枠で出てくるけど。あまり好ましくない)、呟いた時間通りに流れてくるので、頭の中が情報で溢れてはいるもののいい感じにザッピングできていると思う。

でも、私が何かを呟く時に、たくさんのツイートの波に飲み込まれてしまうのが嫌だなあと思うことが多くなった。

それと、見ず知らずの人からフォローされるアカウントを始動させてから1年半くらい経って、気づいたこと。私が言いたいことは140文字に収まらないんだなー、と。誰も私のことなんて気にしてなくて、私が一番私のことを気にしてるけど、自分の思った通りにならないことにフラストレーションが溜まっていくのが嫌だった。私はすべて自分主体で行動しているので、このまま自分が不快なままツイッターをやってたくないから、うまく使い分けていくことが目標。

そもそも、なんでツイッターを始めたんだっけ。これは私が〜…、とツイッターで呟こうものなら、140文字には収まらない。そうすると、幾つかのツイートに分けなければいけない。それが本当に嫌だ。都合のいいところだけ切り取られたくない。だから、そういうことはここに書いておくことにする。

私はというと、作品であれツイートであれ、誰かの表現したものは、都合のいいことしか受け取らない人間だ。大学に入って、初めて受けた文学の授業。作家でもある教授が、大講堂で言っていた。「皆さんは、大学受験を終えました。今まで勉強してきた『国語』は忘れてください。答えが一つであるはずがないでしょう」大学で勉強したことなんてほとんど覚えてないけど、これはいつまでも覚えていると思う。模範解答と違ってもいいんだ、と思った。だから、他の人と違う感想を抱いていいんだ。今振り返ってみれば、至極当然のことだけど、妙に感動してしまった。だから、あなたのツイートを見てもあなたの意図とは異なったように解釈するし、「感動した」と一言に言ってもどのように感動したのかは私だけのものだからね。その「どのように」の部分を、ここでうまく文章にしていきたい。

これからも、気が向いたら書いていきます。